お客様の心の声

トレーニングをして何がいけないの?

腹筋トレーニングに通い始めた。新しい事を始めるのは楽しい。筋力をつけることはとても大事なことだもの。みんな面倒くさいとかきついから嫌だと言ってやらないけど、私は違う。歳を取ったら尚更やらなくちゃ。代謝は落ちるんだし動き続けないと。

トレーニングが好きな人(60代・女性)

腹筋トレーニングに通い始めた。新しい事を始めるのは楽しい。筋力をつけることはとても大事なことだもの。みんな面倒くさいとかきついから嫌だと言ってやらないけど、私は違う。歳を取ったら尚更やらなくちゃ。代謝は落ちるんだし動き続けないと。
運動不足で筋力不足なんて努力が足りないだけじゃない。私は食事にも気を使っているし、栄養もちゃんと採ってる。朝ごはんは玄米入りのおにぎり、お昼はプロティンと野菜サラダ。夜は外食が多いけど、そんなにたくさん食べないわ。家でゴロゴロしているなんてやったことなかった。ゴロゴロって何をすることなのか、わからない。朝は五時から犬の散歩にでかけるし、夜は十時には布団に入ってる。周りの人からは「いつも元気ですね」「お若いですね」って言われてる。当たり前じゃない。私は努力してるもの。誰もが私が六十八歳だとは思わなかった。
「背中、がちがちですね」
毎週通っている整体の先生が呟いた。私は身体のケアも欠かさない。整体をしてもらう事は身体にとっていいはずだ。それに気持ちがいい。凝り固まりをほぐしてもらわなければ血行が悪くなる。
「忙しすぎるのかしらね。運動はちゃんとやってるんだけど。まだ足りないのかしら」
うーん、と先生は唸った。
「以前、ロングブレスダイエットの教室にも行ってましたよね。今はピラティスも行ってるんですよね?」
そうよ、と私はうなずく。
「仕事の合間にジムにも行って走ってるけど、まだ足りないのかしら。歳を取ると代謝が落ちるから」さらに腹筋トレーニングも始めた、と伝える。こんなにやってる人、いないでしょ?と私は鼻を高くする。
「ちょっと多すぎるかなぁ。そのトレーニングは週に一回?」
「週に三日は行きたいんだけど」
私はもうすでに行っていた。沢山やらなければ筋肉は付かないはずだ。私はずっと元気でいたい。生涯現役を目指している。
「筋肉を付けたいのであれば、筋トレをした後は三日くらい休ませてあげたい。一度筋肉の繊維を壊して、修復するときに育つものだから。他のスケジュールも考えると週一くらいで充分ですよ。休息は取れてますか?」
休息って何のことかわからない。私は筋トレがしたかった。もう週に三回の予約を入れてしまっている。止められるのは嫌なので、私は黙っていた。
「もうゴルフに行っても、膝は痛くないですか?」
「お陰様で、もう大丈夫です」
去年のゴルフは散々だった。膝が痛くてコースを歩くのに脚を引きずった。飛距離も伸びない。一緒に回った人から心配された。そんな年寄り扱いされるのは屈辱だった。
電気を当てて筋肉を収縮させる筋トレ、EMSというトレーニングを始めた。そこのトレーナーは「大腿部の筋肉を鍛えれば膝の痛みは取れますよ」と言っていた。私は筋肉に電気が送られるパットを当てて、外力による筋トレをした。それでも膝の痛みは取れなかったし、まず面白くなかった。トレーニングをしている気にならなかったのだ。整形外科にも行った。痛み止めの薬と湿布が出された。
「このままいくと、お母さんと同じように膝の手術をすることになるかもしれません」
私のレントゲン写真を見ながら、医者は言った。

亡くなった私の母は両膝を手術していた。変形性膝関節症と言われ、母も納得して受けた手術だった。術後一年ぐらいは調子よく歩いていたと思う。それでも数年たつと天気により膝が痛いと言い出した。「この手術は失敗だったんだ」と落ち込む母を見ているのはつらかった。母は針仕事を得意とし、運動や筋トレなどをやる人ではなかった。ずっと座っているので体重も増えた。腰が痛いと言うようになった。私は母のためなら何でもした。旅行に行きたいと言えば車いすを用意し、ハワイまで連れて行った。母も喜んでくれた。膝が痛くても海外まで行けるなんて、ありがとう、と涙を流した。私も平日は仕事でいなかったのでせめてもの気持ちだった。でも平日とは週に五日あり、週末は接待ゴルフが入っていた。母も私に気を使って出張で来てくれる整体師の女性を見つけて来ていた。私のいない平日の昼間に呼んでいたので、私は会う事はなかったけれど、母の機嫌がよくなるのは助かった。母は昼間一人で家に居るのが寂しかったのか、その整体の先生を週に二・三回は呼んでいたと思う。私は寂しい思いをさせている申し訳なさで、母の気のすむようにさせていた。私も一度ご挨拶をと思い、週末に母の施術の後に受けさせてもらったこともある。私は会社の近くの整体院に行っていたので、特にどこが辛いとかもなかったのだけれど、何回受けても身体に悪い事はないだろうと思ったし、お陰で母との会話も弾んだ。
ある日母はベッドから落ち、恥骨を骨折した。緊急入院となり母はひどく落ち込んだ。もう歩けなくなるんだろう、と泣いて、リハビリを受けたがらなかった。何を言っているの、諦めちゃだめよ、と何度励ましても母は泣くばかりだった。そうだ、整体の、あの先生に来てもらおう。母と彼女はとても仲が良かった。母もきっと元気が出るはずだ。
整体の先生は白衣から私服に着替えて母の入院する病室まで来てくれた。孫のお見舞いです、という体裁をとっている。先生は一通り母の身体をもみほぐし、股関節の動作を確認すると、母に小さく耳打ちをした。何を言ったのか、私は知らない。それでもその後、母はリハビリをするようになって無事退院することができた。私は母を車いすに乗せて、行きたいというところはどこまでも連れて行った。とても楽しかった。永遠に続くのではないかと思った。
その後も母は様々な理由で入退院を繰り返したのだけれど、医者やリハビリ師と意見が合わなくなると「あの子を呼んどくれ! あたしはもう、医者の言う事は聞かない、あの子の言う事しか聞かないよ!」と叫んだ。母が亡くなる三日前も母の好きな整体の先生に電話を掛けた。都合が悪く母は診てもらう事が出来なかったのだけど、最後まで母が信頼していた人だった。先生は母の葬儀の手伝いにも参加してくれ、棺の中の母に「高杉さん、またね」といつも出張帰りに母にかけていた言葉をかけて帰っていった。
母の死後、三年ほど経って、私も何とか元気を取り戻し、色々スケジュールを詰めて、忙しくしていた。もちろん整体にもかかっていた。母の信頼していた整体の先生に会えばまた母を思い出すので、わざと別の所に行った。
そして膝が痛い。
母の時を思い返しても、膝の手術は最善とは思えなかった。できればやりたくない。母にはしたのに自分はしたくないなんて、酷い娘だとため息が出る。
筋トレもしてる、温めてもいる、整形にも行った、整体も受けてる。
もう手術しかないのだろうか。
ふと、母の声が聞こえた気がした。
「あの子がいるだろ!」
私は母が信頼を寄せていた整体の先生に、電話をかけていた。

「高杉さん、外反母趾、こんなに酷かったですっけ」
久しぶりに会った整体の先生は、うーん、と唸っている。
「これはもう、三十代くらいからなの。窮屈な靴を履いていたから変形しちゃったのね。でも指先は痛くないから」私は膝を何とかしてほしかった。
グー、パーできます?と聞いてくる。
私の指先はあまり動かない。パーなんてもってのほかだった。親指の付け根は変形し、飛び出している。
「ヨガの先生にも指先で立ってとか言われるんだけど、できるわけないじゃない」
みんなできないでしょ? と私は先生にうったえる。
「高杉さん、テーピング撒くの嫌? 痒くなるんだけど、ちょっと続けてみて欲しい。親指が真っすぐになります、とは言わないけどちょっとでも握力が付いてくると、膝の痛みも変わります。これじゃ指が上がっちゃって踵で歩いてる状態です。踵に歩行時の衝撃がかかって、その衝撃波が膝に行ってるので、膝が痛いんです。まず指に力が付くまでは衝撃を吸収しておきたい。踵に衝撃吸収のパットつけてもらえますか?」
足の指の握力? 考えたこともなかった。指など動かなくても構わないのに。膝の痛みが止まれば何でも良かった。言ってる意味がよくわからなかったけど、母が信頼していた人だ。とにかく言われたとおりにしようと思った。
それから毎週、足の指にテーピングを巻いた。親指と小指を開くような形で止め、足の甲にアーチができるように巻いていく。お風呂も付けたまま入った。ざっとタオルで拭いて、そのまま寝てしまえば翌朝には乾いていた。蒸れて痒みも出た。でも痒いなんて大したことない。かきむしればいいだけだ。血だらけにもなった。それでもかまわなかった。ひと月ほど経つ頃には完全に膝の痛みは消えた。気が付けば小走りができるようになっていた。三ヶ月経つと足の指が長くなったように感じた。
「持ち上げていた指がようやく下りてきたからです。伸びたのではなく、下りたんですよ」整体の先生はそう言ったが、私は指が長くなったことに喜んだ。さらにくっついていたと思っていた五本の指に隙間が開いてきた。小指を動かすことができる。半年が経つ頃、ゴルフに行った。以前同行していた人は心配したが、私の飛距離は伸び、脚もまったく引きずらない。彼らの驚く顔を見るのは楽しかった。私は若返ったような気分になり、様々なトレーニングを増やした。もっと良くなりたい。あっちが痛い、こっちが痛い、そんな年寄りみたいなこと言いたくなかった。

「眠れてます?」整体の先生は、うつぶせになった私の背中を押しながら言った。
「ええ。布団に入るのは早いです。横になったらすぐ眠っているくらい」私はうふふ、と笑った。横になってすぐ眠れるのは健康な証拠でしょ? 先生はうーん、と唸っている。
「神経は休まってないみたい。ちょこちょこ目を覚まします?」
「ええ。三・四回はトイレに起きます」
外食をすればアルコールも飲む。私はお酒も強い方なので量は多い。だからトイレが近いのだと思う。
「午前中、ピラティスのレッスンだったんですよね。ここの後のご予定は?」
「腹筋トレーニングが入っています。その後は東京まで出て語学のレッスンです」
お腹が空くのでこの後、軽く食べよう。語学レッスンの前にも軽食を採っておかないと、授業中にお腹が鳴ってしまうかもしれない。一食に数えられないくらいの軽いものだもの。私はそれらを食事の回数には入れなかった。これだけ運動しているんだから、多少食べてもどぉってことないでしょ? 家に帰ったら授業の復習もしなくてはならない。私には一日二十五時間あっても足りない。もっともっと色々なことをやりたい。そのためには栄養も大事だと思い、生卵も飲んでる。だからこんなに元気でいれるのだ。
足のテーピングはもう一年も続けている。でも何がどうなっているのかよくわからない。最近は著しい変化も感じない。正直つまらない。でも母が信頼していた人だから、と思って通っている。
施術が終わるとテーピングを巻く前に、ちょっと確認しますね、と言って先生は手ぬぐいを床に広げた。
「これを足の指で掴んで持ち上げてみてください」
私は眉間に皺を寄せた。できるわけないじゃない。
私はヨガをやめた。トレーナーが、足の指に力を入れろとうるさかったからだ。入らない力をどうやって入れるのかわからない。劣等生扱いをされているようで腹が立った。それでも渋々手ぬぐいに足を伸ばした。これでやらなければ母に怒られるような気がしたからだ。
思いのほか、私の足の指は布を掴んでいた。
おや? と思って持ち上げる。持ち上がったのだ。私は驚いて先生を見た。
「そろそろかな、と思っていました。足の指の握力が付いてきました。まだまだですけど、これで多少踏ん張って立てます。立っているときは少し膝を緩めて、足の裏全体に体重が乗っている感触を身体に慣れさせてください」
はい、と私はうなずいた。これまでできなかったことができるようになっていた。嬉しくなって帰ってから写真を撮って、先生のスマホに送った。
 それでも他人は気が付かないところだった。凄いですね、さすがですね、と言われることもない。とても地味な変化だ。膝はとっくに痛くなくなっていたし、もうパットもつけていない。トレーニングに週三回通っている、と言う方が周りのみんなは褒め称えてくれた。私はもっとそっちを増やしたいくらいだった。テーピングを巻いているだけでは、他力本願のようで自分の努力ではないと思った。それでも整体院の予約は毎週入れた。母の目があるような気がしたのだ。

 腹筋トレーニングのトレーナーが新しくなった。整体もできる人のようで、私の姿勢はずいぶん悪い、と言われた。私はショックだった。あんなに毎週整体に通っているのに。あの先生は母には合っていたけれど、私とは合わないんじゃないかと思った。
「新しい腹筋トレーニングのトレーナーさんに、姿勢が凄く悪いと言われました。頭も前に出ているし、肩も巻き肩になっているって」
私は文句にならないように気を付けたつもりだったが、言葉がきつくなる。まるで、あなたは毎週何をしているの、と言っているようだ。そう思っていたのだけれど。
新しいトレーナーは物知りで、色々なことを教えてくれた。先生は何も教えてくれない。
「そうですよ」先生は、しれっと答えた。
私はムッとした。知っていて治さなかったと言うのか。治せなかったんじゃない。
「高杉さんは、トレーニングのし過ぎです。筋肉に力を入れることばかりやってるでしょ? ここでリセットまで持っていけても、もう三十分後には筋トレを始めてる。週に一度でもリセットする場が無かったらもっと巻いてましたよ」
私は自分がやっていることを非難されたようで、イラっとした。
筋トレをしてなにが悪いのよ。筋肉が落ちたら歩けなくなるじゃない。
「高杉さんは力が抜けないんです。休息が少なすぎるから。力を入れることばかり考える筋肉になっちゃってる。それは交感神経優位の状態で、常に戦闘態勢。眠っているつもりでもタダの気絶なので強制シャットダウンに近いと思う。だから電源が入るとすぐ目が覚めちゃう。多分、私が聞いているよりもトレーニング量は多いはずだし、食事の回数も多いと思う。運動している割には痩せないでしょ? 高杉さん、充分筋肉あるよ。もうこれ以上付けなくていいくらい。それよりも休ませてあげて欲しい。アーユルベーダ、行ってませんでしたっけ? そのころはもうちょっと、力抜けてたのにな。トレーニング始めると、またかたまっちゃう。ゼロトレくらいにしておいて欲しいんですけど。ストレッチポール、お持ちでしたよね」
私は先生が何を言い出したのかわからなかった。きっと私に責められたと思って、焦っているんだ。私だって惰性でいつまでも来ないわよ。いい先生がいたらそっちに行くんだから。母と仲が良かったからって、私までついていくとは、限らないんだから。
ストレッチポールは持っていません、教室に行けば置いてあるから、と言うと、ちょっとこのポールの上に仰向けになってください、と言われた。それはピラティスの教室でもやるので、知っているわよ、と言わんばかりに私はさっさとその姿勢を取る。
「ゆっくり万歳してください。そして、だらっと力を抜いて。腕の重さだけで引っ張られるように。重力が引っ張ってくれますから、自分で力入れないで」
私は、わかってるわよ、とふーっと強く息を吐いた。息を止めてはいけない、とどこかのレッスンで言われた。吐いていると力が抜けるらしい。
「普通に呼吸してください。ふーってやらないで。腹筋に力が入っちゃうから。それはロングブレスダイエットの時にやってください。どこかに力が入っていると伸びないんです。万歳すると腹筋は伸びるのに強く息を吐いては力が入っちゃって伸びないでしょ?」
はい、今度は真横に腕を広げて、だらっとしてください、という。私は言われたとおりに腕を広げた。右胸が痛い。新しい腹筋トレーニングのトレーナーは、右肩が上がっていると指摘し、そこのトレーニングメニューを私にさせた。背筋の筋肉が付けば、後ろに肩が行きます、とトレーニングした。
「はい、今度は腕を身体の両脇に沿えてベッドに乗せちゃって、だらっとしてください」
私は言われるままにする。肩の力が抜けてくる。それを二回繰り返すと、最初ほど右胸は痛くなくなった。あれ? おかしいな、と思った。
「ストレッチって自分で自分を引っ張るやり方をすると、必ずどこかに力が入ります。そうしなきゃ引っ張れないから。だから重力に引っ張ってもらうのがいいんですよ。筋トレばかりがトレーニングじゃないんです。これゼロトレって呼んで、最近流行ってるんでしょ? 高杉さん、本買ったって言ってませんでしたっけ」
私は先生の言っている意味が分からなかった。
ゼロトレの本は買ってあった。でもまだ読んでいない。
「あと、理解してやるのと理解しないでやるのとでは効率も違いますからね。何をどうしたいのか考えてやるようにしてください。船頭多くして船山に上る、と言うので、私は余計な口出しはしません。ひとつひとつご自身で経験して、実感して、ジャッジしてください。高杉さんが何を選ぼうと、都度都度フォローしていますから、安心してどうぞ。トレーニングをしないでください、って言っているのではありません。高杉さんはトレーニングに行くのが生きがいなんですから」
はぁ、と私は小さく頷く。
私は先生が何を言っているのかわからなかった。
私が自分で決めるの? 言われたメニューをこなせば良いんじゃないの?
私は新しいレッスンを始めるとき、つまりはそれまでやっていたレッスンを辞めるときは、面白いかどうかで決めていた。長くなってくると、飽きるのだ。新しい教室に行けば、楽しい。新しい事を覚えられる、と思っていた。でも何を覚えて来たのだろう。私の中には何も残っていなかった。
腹筋トレーニングの新しいトレーナーも、色々説明してくれてた。
でも実はよくわからない。
「あの、腹筋トレーニングの新しいトレーナーさんは、私がリラックスしていないから、寝るときにラベンダーのアロマを焚いてください、って言うんですけど」色々教えてくれるんです、でも私アロマオイル使ったことないので、と口からこぼれる。
そんなことをこの先生に言っても、どうしようもないのに。
「高杉さんに、ラベンダー? 鉄板だなぁ」
トレーナーの経験値が見えるね、と先生は肩をすくめた。
鉄板とは? 何のことかわからない。
「やってみて悪いわけじゃないから、止めませんけど。ここでもラベンダー焚いてるときあるんですけどね。高杉さん、特に変わらなかったけど」
え?
私は院内を見回した。下側が木製で、上半分は半円のガラスのフラスコのような形をしたものがあった。そこから蒸気が出ている。言われてみれば、何か香る。私には何の香りかわからないけど、柑橘類のようだ。一年以上も来院していたのに、私はこの時初めて気が付いた。
「高杉さん、香りの反応、鈍いんです。色んなアロマを焚いてみてたけど、比較的グレープフルーツがまぁまぁ良いかな、くらい。ラベンダーも原産地で香りが変わるから、横浜そごうの生活の木に行って、自分で嗅ぎ比べてみるといいですよ。
でもなぁ、高杉さんが自宅で眠る前に三十分も毎日やるとは、私は思わないけど。高杉さんはアロマでぐっすり眠れるタイプじゃないし。それなのにラベンダーを焚けなんて、マニュアル通り、十羽ひとからげ、って感じなの。
高杉さん、骨盤ベルトも撒いてないし、踵パットも付けてない。そういう毎日コツコツやるの、向いてないから。テーピングは張り付けて置けば一週間外さないでいてくれるけど」
私は先生が何を言っているのかわからなかった。アロマオイルなんて、効果ないですよ、という事だろうか。私も薄々そう思っていた。毎日焚くなんて、面倒くさい。
「私もそう思うんですぅ。アロマなんて、ねぇ」
私は先生に、ニッコリと微笑んで見せた。
先生は気にせず、じゃ、テーピングやりますよ、と準備を始めている。
「これも、飽きて来てると思いますが、親指が変形してからの時間の五分の一はかかると思ってください。高杉さんは四十年近く放置しちゃったから、八年かかる計算です。グー、パー、とタオルを掴むのを自発的にやってもらえると一年ぐらい短縮できるんじゃないかな。でも地味なトレーニングだから、やれないもんなんですよ。生活していくための筋肉は、トレーニングでつけるもんじゃないんです。生活しながらついていくものなの。使っている筋肉は落ちない。トレーニングでわざわざ付けた筋肉は、トレーニング止めたら必ず落ちます。
立って歩いてに必要な筋肉を使わない動きになっちゃって四十年、使う事を思い出させるのに八年です。たとえば、耳、動きます?昔の人は動いたと思いますよ。でも耳を動かさなくなったから動かなくなったんです。それと同じで、足の指で踏ん張らなくなったから指に力が入らなくなった。そこに神経の指令が行かなくなった。神経に指令が行くようにするところからやってるので、時間がかかります。
私は切ったり縫ったり薬を出したりできませんが、切ったり縫ったり薬を飲んだりして変わるところじゃないんです。退化したものをまた使えるように戻す作業なので。根気が要りますよ。でも、やりましょうよ」
ね、と先生はほほ笑んだ。
先生が言っていることの半分もわからなかったけど、時間がかかるよ、という事なんだろうか。
母は九十一歳で亡くなった。私はまだ六十九歳だ。八年かかってもまだ七十七歳。九十一歳になるまで十四年。
膝の手術なんて、したくない。
私はぼんやりと、がんばります、と呟いた。