整体師が牧師になる時もある

誰だって懺悔したい、懺悔したからと言って性格は変わらないわかっちゃいるけどやめられない。そんなこと、誰にだってあります。酷いことを言ったかもしれない、でも謝りたくない。そんなこと、誰にだってあります。
禁煙している人が煙草を吸いました、と懺悔しました。気分転換に、たまにはいいのではないでしょうか。また次に来店した時も、また吸っちゃった、と言いました。なんだ、止める気ないのか、と呆れなくていいです。また吸っちゃうのに止めようと思っているんだね、と一緒に笑います。
 禁煙していたのに職場で嫌なことがあってつい吸ってしまった、あいつのせいだ。
いえいえ、あなたのせいです。でもそんな事、本人が一番わかっています。
今日の集まりに行くって言ったけど、子供が熱を出して行けなくなっちゃった。旦那もいるんだけど、任せられないから。
任せればいいのに。本当は行きたくなかったんじゃないかな。それは行かなくて良かったんだよ。
正論なんてクソくらえです。言い分は誰にでもあります。誰彼構わず言い訳をしている人は放って置いてもいいのですが、言い分があるのに黙っている人は、物凄く背中が張っています。整体師は「王様の耳はロバの耳」と言う話も聞きます。他言無用です。

過剰なアドバイスはいらない
 アドバイスをして悦に入るのはアドバイスをした人だけです。「良い事言ったなぁ」なんて思っても、相手にはそれほど響いていません。「あんなに言ったのに、まだわからないのか」と腹を立ててはいけません。最初から聞いていません。相談のように打ち明けられても独り言の時もあります。それも踏まえて、聞くんです。正論なんて要らないんです。整体師も人間ですから、親身になってしまうものです。でも勘違いしてはいけません。お客さんは整体師にすべてを解決してもらおうとは思っていません。ただ話を聞いて欲しいんです。

俯瞰してみる
 『俯瞰』
   高いところから見下ろし眺めること
私は『木を見て森を見ず』という言葉を心に刻んでいます。ちょっと引いて見ると景色は変わるものです。心につかえがあるほど目の前しか見えなくなります。身内や友人から何か言われれば「でも」「だって」と返してしまいます。整体師は全くの第三者です。これほど客観的にみれる立場はありません。
 その人に起きている出来事を、自分の事として考えてみてください。眠れないと言われた時に、自分が本当に眠れない時の事を想像してみてください。
目を閉じてもすぐに開いてしまう。お酒も飲んでみた。全然眠くない。外が明るくなってきた。だんだん起きる時間が迫ってくる。三十分でも眠りたい。眠れない。気持ちが悪くなってきた。
さぁ、どうしますか?
そこでようやく、つらいよね、大変だったねと言う事が出来ます。
「眠くない時は起きてればいいんですよ」
そんな台詞はいりません。自分に起きた事だったら、何とかして眠る方法を考えると思います。眠れないことがないから相手の言ってる意味が分からない、なんて論外です。実際、三日も丸々眠らないことはできません。必ず眠る日は来ます。一番の問題は、布団に入って眠る準備ができたのに、なぜ眠くならないのか。時差ボケのように体内時計が狂っているのか、考え事をしているのか、ホルモンバランスの乱れか。一緒に考えます。自分の事として考えます。
これができないと整体師ではないと言い切りますよ。
次に大事なのが、客観的にみることです。施術ベッドに横になり、タオルをかけて、背中を摩ると目は閉じられるものです。それが反射です。
それでも施術ベッドに横になって目が開いている。
これがその人の夜の姿です。
自分のベッドに入った時の姿です。
眠れない時に何をしていたのか、何を考えていたのか、聞きます。体温は高いのか低いのか、興奮しているか衰弱しているのか観察します。
牧師として、話を聞くんです。